バイクにのる人
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ちょっと回想:昭和の北海道
4年ぶりの北海道ツーリングの準備中だが、ふと、大昔のことを思い出してしまった。
今でこそバイクで北海道へ行く身分だが、最初の北海道は夏休みの2週間を潰して(潰されて?)親に引き回された北海道旅行だった。
昭和52年?51年?両親は車の免許を持っていない時だったので移動は基本的に全て電車。
寝台急行で青森まで走り、青函連絡船で函館に渡り、サロベツ原野、宗谷岬、サロマ湖、摩周湖などの記憶があることから時計回りに一周した模様だ。
記憶に残っているのは北方領土が見えるオホーツク海を左手に見ていたワンシーン。
現在の国道238号線沿いを通ったのだろうがwikiなどで検索すると一部未開通区間が存在する超マニアックな路線らしい…お父さん…あなたって人は…
若い鉄道ファンで気動車好きな人なら廃線名と型式名がスラッと出てくるだろうが、恐らくそれらが現役で生き残っていた時代だったのかもしれない。(恥ずかしながら全く記憶が無い…)

それから数年後の昭和62年春に親父の兄弟の所へ一人で向かうことがあった。
上野駅を日付が変わるちょっと前に出る寝台急行、確か十和田とか言う名前だった。
朝に目が覚め、B寝台の最下段だけにあった大きな窓から見た景色は東北の寂しい光景、しかし線路の継ぎ目と車輪が奏でるリズムが妙にマッチした不思議な時間だった。
「ボ~…」
青森駅に着き、ホームに降りると聞こえてきたのは青森港の船が奏でる霧笛の低い音。
音がしてきた方向を向くと青函連絡船の艶のない黒い煙突がホームの屋根越しに見えた。
春とは言え雪雲独特の濁った灰色の雲が立ちこめる青森は独特の雰囲気。
演歌の歌にも出てくる光景そのままだが、あの霧笛の音はどこか切ないが抱擁感のある力強い独特の音、今でも耳にこびりついている。

叔父の家で数日を過ごし、内地へ戻る時に函館から再び青函連絡船に乗ったが出航前にデッキに出て港を見ていると目の前に無数の紙テープで岸壁とデッキが結ばれている。
下は自分と同い年くらい、上は自分の親よりも年上と思われる男性達。
出稼ぎや進学など様々な理由があるのだろうが笑っている人はほとんど居ない、やがて船体が離岸しても動かずに千切れた紙テープを握ったまま岸を眺めていた少年の顔が今でも忘れられない。
観光パンフレットでは絶対知り得ない別の景色だった。

国道という名の道路でさえもコンクリートとコールタールの継ぎ目が延々と続き「ドコン…ドコン…」と定期的に音を響かせ、少しでも横道に逸れると未舗装路、そして木の電柱(それすら珍しい)が続く寂しい道。
恐らく鉄道路線が無い区間の移動だろうが、現在の北海道はそんな面影がなくなってしまった。
地元の人には良いことなのだろうが私にとっての北海道は昭和50年代前半で止まってしまっているので綺麗なアスファルト道路はどこか馴染まない。
高い屋根に2階建て程度の建物が続く市街(道南除く)、斜里などは面影が残っているので好きな街の一つでもある。

母親方の実家である上越(新潟)へ向かう信越線と碓氷峠、そして父の親戚が居た北海道(実家は返還されていないエリアなので行けない)への旅が現在のツーリングスタイルを決めたと言っても過言ではないだろう。
急がず金を使わず下道をひたすら走るだけ、でも道中の路面の音や信号待ちの風景を楽しむ。
なんとなく電車の旅に似ている部分があると自分で勝手に思っている。

もう青森に行っても青函連絡船は無いんだよな…頭ではわかっているのに毎年春になると無数の紙テープを思い出してしまう。【長文失礼】
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